大本山總持寺へ
2017年06月16日
平成十九年春、駒澤大学仏教専修科を卒業した自分達は、鶴見にある大本山總持寺に修行にあがりました。
時が経つのは早いもので、今年は安吾(修行のこと)してから10年目の節目ということで、平成十九年度安吾者で本山に行ってきました。
總持寺では年に二回「摂心会」という一週間ひたすら坐禅をして過ごす行事があります。この期間中修行僧達は寝るとき以外、朝のお勤めはもちろん、食事するときや、講義を受けるのもすべて坐禅を組んだままというとても辛い修行行事です。
今回はそんな修行に励む修行僧たちに食事を施す「摂心供養の施主」という名目で同期の修行僧たちと拝登してきました。
修行道場という場所は普段だと立ち入りの制限が多く、たとえ元修行僧といえども気軽に来れる場所ではありません。まして仲間の中には、北は北海道から南は九州まで日本全国に散らばっているので今回ひさしぶりの訪問となった者も多かったようです。
皆、かつて自分たちが研鑽を積んだ大本山の廊下をなつかしそうな顔をして歩いていました。
仲間達と久しぶりに会って話すことは、修行時代の苦労話ばかりです。
修行していた当時は辛く苦しいばかりでこんな日々早く終わって欲しい、と毎日余裕のない生活をしていました。ときには仲間たちと喧嘩をしたり、誰かが粗相をしたら一蓮托生で同期全員で怒られたり理不尽だと思うことも多々ありました。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉があります。あの頃の辛い修行の日々は、今となっては皆にとってかけがえのない思い出となっていることを今回再確認できた気がします。