足利文化財「勝軍地蔵」


武家の間で信仰されていた
武装した地蔵菩薩の御仏

足利文化財「勝軍地蔵」

念ずれば戦いに勝ち、
様々なむくいから救われる

文明三年(1471年)関東管領「山内顕定」と古河公方「足利成氏」の間に戦いが起こりました。上州白井の長尾景信と横瀬国繁の軍勢は ただちに、古河公方の赤見城と樺崎城を攻めるために出陣しました。行軍の途中いったん大久保のこの地に陣を敷いて攻略について軍議を行いました。 まもなく話もまとまり横瀬国繁は一人、そばのお寺を訪れ境内の静けさの中で戦略を考えながら散策をしているうち本堂の裏手で埃にまみれた一体の勝軍地蔵を見つけました。

踊り上がらんとばかりに喜んだ国繁は総大将の長尾景信にこのことを伝え、(※当時の武家の間では戦いの護り神として非常に信仰されていた) 「戦いの前に勝軍地蔵が我らの前に姿を現わされた!これに勝る吉兆はない。戦いは我らの勝利と決まった。」と全軍の士気をあおり、 一気に赤見樺崎の両城を攻め落としたと記録されています。以降勝軍地蔵は「龍雲寺」の宝仏としてお祀りされてきました。
- 台一雄(著)足利の伝説より抜粋 -

「勝軍地蔵」とは

地蔵菩薩の一。これに念ずれば、戦いに勝ち、宿業・飢饉(ききん)などを免れるといわれ、 鎌倉時代以降に武家に信仰された。甲冑(かっちゅう)を身につけ、武器を持った姿で表す。

龍雲寺の「勝軍地蔵」は前述の通り長尾景信と横瀬国繁の両名の縁により再びこの地に顕現し、以降龍雲寺の寺宝となりました。 近年あまりにも損傷が酷かった為、京都の職人の手によって修復作業を行いました。古拙な感じは薄れましたが甲冑の装飾まで見事な修復がなされました。

関東平野と渡良瀬川の豊かな自然に恵まれた古都足利市。
栃木県の南端にある都心からアクセスしやすい場所。龍雲寺はそんな足利の東、
フラワーパーク近くの少し奥まった場所にある静かな歴史あるお寺です。

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